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パリの地下に広がる巨大な[死の帝国]の謎

パリの地下に広がる死の帝国


華の都と言われるフランス・パリの地下には、 この世のものとは思えない、背筋も凍る巨大空間が広がっていることをご存知だろうか?


地上から130段の螺旋階段を降りた先には、全長500キロメートルとも言われる謎の地下空間があり、その入り口の門には、薄気味悪いこのような文字が刻まれている。


「Arrête ! C'est ici l'empire de la mort(止まれ!ここが死の帝国だ)」



パリの地下に広がる死の帝国。


通称「地獄門」と呼ばれる入り口の門をくぐると、驚くべきものを目にすることとなる。


それは、まさに死の世界と言えるような異様な光景。


約600万人とも言われる「人骨」が地下空間の至る所に並べられており、数え切れないほど無数のガイコツがひしめいているのである。



そして両側の壁を埋め尽くす頭蓋骨たちに見降ろされる異様な光景が果てしなく続いている...


では、この空間は一体何なのか?


それは、カタコンブと言われる世界最大級の地下墓地だったのだ。 フランスでは基本的に死者は土葬されるが、遺体は土の中で分解せず疫病の流行や地下水汚染なども生じていた。 その問題を解決するために1787年、地下の大空間を墓地とするカタコンブという墓地が誕生したのだ。



カタコンブの異変


パリの地下にカタコンブという死の帝国が誕生したわずか2年後、地上では世界史を揺るがすほどの大革命が行われた。それがかの有名なフランス革命である。


当時のフランスは、市民の9割を占める平民には非常に重い税が課せられており、さらに大不況の影響もあり、多くの市民たちは非常に苦しい思いをしていた。


そんな中、特権階級である貴族たちは豪遊し、しかも課税を全くされていなかったのである。 これは一般市民にとっては耐えがたい出来事であり、貴族たちへの憎悪を募らせていたのだ。


そして、まさに彼らのような身分が低い市民たちが、「自由・平等・平和」を掲げて奮闘し、王政を倒した革命こそ、フランス革命なのである。


「我々は財産よりも遥かに気高いものを持っている!それは自由、声明、自身及び家族のために法の保護を得られる権利、そして圧政に抵抗する権利だ!」 人々はこのように述べ、自由と平等の国民のための社会を手に入れたかに思えた...


しかし、王を処刑台に送った後、予想だにしなかったことがフランス国内で起きてしまうのである。


それは、フランス革命によって人々は圧政から解放されたかに思えたが、フランス革命後わずか数年間で、数万人〜十数万人という人々の亡骸がカタコンブに埋葬されたことである。


でもなぜこのことが、予想だにしない不可解なことだったのか?それは...


この時埋葬された人たちは、戦争によって亡くなったわけではないからである。


実は彼らは、戦死ではなく、裁判にかけられ、死刑宣告されたのち、亡くなった人たちなのである。その死体はあまりにも多すぎて、貴族や一般人、革命軍側か王統軍側かに関係なく、まとめて埋葬されることとなった。それほど大量の死体が運びこまれることとなるのである。



正義を貫いた悪魔の登場と歴史の謎


では、フランス革命後のフランス国内では何が起きていたのか?


それはある男が鍵となってくる。


実はその男が政治の表舞台に現れたことによって、たったの数年の間に、


・約50万人が罪なき罪で逮捕拘束され、


・1万6千人が裁判の後に処刑され、


・さらに4万人は裁判すらなく即刻死刑にされたのである。


まさに正義による革命は暴走したのである。


このようにフランス国内を恐怖に陥れた代表的な人物、


その名をロベス・ピエールと言う。



ロベス・ピエールは大量殺戮者として歴史に名を刻むことになるのだが、このロベス・ピエールには、数多の歴史学・社会学の学者が研究するほどの大きな謎が隠されていた。


その謎とは、ロベスピエールは、根っからの悪人ではなく、誰よりも平和を愛し、弱き者を助け、人々からは「決して腐敗せぬ男」とまで呼ばれたまさに聖人と呼ぶべき人物だったのである。


しかし、そうであるならば、なぜ正義を貫こうとしたロベス・ピエールは、闇落ちして大量殺戮者となってしまったのか?



ロベス・ピエールの人物像


ロベス・ピエールは、幼い頃に母親を亡くしたが、「母親の話をするときはいつも涙を浮かべていた」と言われるほど純粋で清い心を持った少年であった。


また彼は成績優秀でパリの名門学校で頭角を現していくこととなる。


大学時代は、あらゆる賞を総なめにし、フランスでルイ16世の即位式が行われた際には、ラテン語で祝辞を読んだとも言われている。


学校を卒業してからは、弁護士としての道を歩むこととなるが、弁護士時代は相手がどんなに貧しかろうとその人物のために全力で弁護をした。


「弱い立場にある人々、抑圧された人々、貧しき人々を擁護する職業以上に、崇高な職業などどこにあるだろうか」


弁護士時代、ロベス・ピエールはこのように語っていたとも言われている。


まさにロベス・ピエールは頭脳明晰で聖人のような心を持ち合わせた人物だったのである。


しかし、政治の世界に足を踏み入れたロベス・ピエールは、徐々に狂っていくのである。だがこの時はまだ誰も、ロベス・ピエールによって引き起こされる悪夢を人々は知らなかったのだ。



フランス革命後の血の粛清


指導者となったロベス・ピエールが最初に行ったこと...それはかの有名なマリー・アントワネットの処刑であった。


「自由と平等という名の下に、暴政を終わらせなければならない」


ロベス・ピエールはこのように述べたと言われている。


この王妃の処刑を皮切りに、フランス革命後の血の粛清が進む。


正義の革命に反対するもの、または反対していると疑われているものを次々に殺した。


罪状は「国家転覆を企んだ罪」


証拠はない。疑わしき者は殺す。


ロベス・ピエールは疑わしいものたちを殺すための法令を制定した。


この法令はひと言で言えば ロベスピエールが殺したい人間を殺せる法律である。


彼は殺して殺して殺してまた殺した。


ロベス・ピエールはいつしか正気を失っていたのである。


しかも、彼の恐ろしいところは冷静に狂っていたところである。


そして、このロベス・ピエールによる恐怖政治により、フランス人たちは全てが敵に見えてきた。


恐怖は伝染し、人々は互いに疑心暗鬼になった。


自分に疑いがかけられるくらいなら、誰かの罪を被せるという密告の嵐が吹いた。


ロベスピエールはそれらの情報を精査することもなく次々と処刑を繰り返して行った。


1日の処刑者数は常に最高を更新し続けた。


ロベス・ピエールは平和を愛していたし、平等な社会をつくるという理念を持ち続けた。


彼は正義を貫くために、自分たちの理想に少しでも歯向かう人たちを処刑し続けたのである。


暴走した正義よりも恐ろしいものはない。


ロベス・ピエールの正義こそ世界史上、最も暴走した正義だった。



フランス革命の教訓と日本政治の腐敗


ここまでお話ししたように、ロベス・ピエールは、平和で平等な社会をつくりたいという理想に狂ったほど取り憑かれてしまい、その理想に少しでも反対する人を片っ端から殺していきました。


しかし、ここである疑問が浮かびませんか?それは、


・なぜロベス・ピエールは途中で引き返すことができなかったのか?


・なぜ誰も止めてくれなかったのか?


という疑問です。このフランス革命は単なる他国の遠い昔の話ではありません。実は、このフランス革命から現代の日本に蔓延る問題に直結する教訓を得ることができるのです。


そのことについて、評論家の中野剛志氏はこのように述べています。


「フランス革命は、自由・平等・博愛の理想を実現するため、社会を抜本的に変えようとしましたが、その結果政治は不安定化し、社会は大混乱に陥り、挙句の果てには、ロベスピエールによる恐怖政治やらナポレオンによる侵略やら、自由・平等・博愛とはおよそ正反対の結果をもたらしました。


フランス革命以外にも、例えばロシア革命、中国の文化大革命、カンボジアのポル・ポト派による革命など、マルクス主義の理論にしたがって、国家を抜本的に変えようという革命は、ことごとく、悲惨な結果をもたらしてきました。それはマルクス主義の理論が、複雑な経済や社会を理解する上では、はなはだ不完全なものだったからです。


現代の日本でも、1990年代や2000年代、政治、経済、行政から教育に至るまで、「構造改革」という標語の下、さまざまな改革が行われました。


「日本を抜本的に変えないといけない」と叫ぶ改革派の政治家を、国民も支持しました。しかし、その結果日本は、衰退の一途を辿りました。平成の時代に行われた一連の構造改革のうちで、成功したものが1つでもあったでしょうか。


日本が衰退したのは、抜本的改革を怠ったからではなく、その反対に抜本的改革をやりまくったからなのです。18世紀末に、バークが『フランス革命の省察』で警告したことを理解していれば、こんなことにはならなかったことでしょう。


しかも、その抜本的改革に邁進してきた自由民主党が、「保守」と呼ばれているという始末ですから、情けない話です。」


中野剛志 “フランス革命、ポル・ポト政権...「抜本的改革」がことごとく失敗するワケ”.WEB Voice



中野剛志氏が述べているように、日本の政治家・経済学者たちは「改革こそ善だ」という理想を掲げて、日本経済をひたすら悪化させ、私たち日本国民を苦しめ続けてきました。


しかも、彼らのせいで、日本が以前と比べて全く経済成長しなくなると、今度は、


「日本が貧しいのはまだ改革が足らないからだ」


などと言い、国民の事は二の次で、自らの理想を追い求め続けてきました。


これはまるでロベス・ピエールと同じだと思いませんか?


もちろんこれは「構造改革」だけの話ではなく、財務省による緊縮財政や、岸田政権による増税に次ぐ増税も全く同じ原理によって私たちは苦しめられ続けているのです。



月刊表現者事務局(経営科学出版)より