南京大虐殺の真相…ウソを広めた悪魔の女
From:丸谷 元人(危機管理コンサルタント)
(出典:Wikipedia)
この写真の女性をご存じでしょうか。
名前だけは聞いた事があるという方もいると思います。
彼女の名は、アグネス・スメドレー。
この人物こそ、南京での日本軍による20万虐殺説を、さんざん喧伝したという事で日本人にとって許せない人です。
実は、これらの人々の証言をもとに、日本の学校教育が行なわれていました。
"アメリカのジャーナリストが言うから間違いない"と言うと、そんな事があるわけなかったのです。
現場で南京戦に参加した人たちに、私も何人かインタビューさせていただきましたけど、
その人たちが「そんなものはなかった」とか、「見てない」と言っても、周りの人は黙らざるを得ません。
アメリカの女性ジャーナリストが言っているから間違いないだろう、という話になってしまうのです。
ちなみに、私が20年近く前に取材した元兵士の方は、南京大虐殺をどう思われますかと言ったら「冗談じゃない」とおっしゃっていました。
なぜかというと、兵士というのは場合によって40〜50キロの荷物を担いで歩くわけです。
しかも、中国の国民党が早々に逃げてしまい、日本軍に物資を残さないために村とかも焼いてしまいます。
その村を見つけて入ると住民たちは怖がって、どこかに逃げていくわけです。
中に入ったら日本と違って衛生管理が違いますから不潔です。
汚い茶碗や、ハエが集っている米のほか、布団でも着物でも汚れています。
そんなものを日本兵が散々略奪したと言われているけど、ただでさえ40キロぐらいの荷物を担いでいるのに、壊れた汚い茶碗とか、ハエが集っている飯とか、茶色の布団や着物を一体誰が取るのかと言っていたので、非常に説得力がありました。
そのような中で日本兵が大量の略奪や、女性を暴行して大量に組織的な虐殺をしたと言ったのがアグネス・スメドレーです。
ちなみに私は、日本軍による暴行も当然あったと思っています。
だから憲兵がいて、摘発したわけです。
もちろん不良兵士による小さな事件はどこの国でもあります。
でも、組織的な一般市民を並べて100人斬首したという事実はなかったと思います。
ただし、南京においては武器を捨てた国民党軍の兵士が逃げられなくなっていました。
実は、中国軍に特戦隊というのがいます。
それは前線で戦わされている部隊の後ろに監督している部隊の事で、前線から逃げてくる味方を撃ち殺していました。
それで仕方ないから前線の兵士たちは敵に向かって突撃するしかなかったのです。
逃げられなかった兵士たちは軍服を脱いで民間人を襲って、服を盗んで着て、民間人のふりをするのです。
これは国際法違反です。
そのような中で、ピストルを隠し持って日本兵を撃った奴が出てきたので、日本は対処せざるを得なかったのですね。
こういう輩を便衣兵と言いますけど、いわゆる今のゲリラです。
これは、国際法であるジュネーブの法規上は保護しなくてもいい対象でありますので、日本がこれを討伐したという事はあったでしょう。
ただし、一般市民である婦女子まで含め、並べて首を片っ端から斬ったという事はないだろうという事です。
実際に南京を日本が攻略したときは、南京の人口は20万だったと言われています。
日本軍が1937年12月に南京を占拠しました。
占拠して1ヶ月後に国際委員会が再度人口統計するとなんと25万人に増えていたらしいです。
なぜかというと、途中で日本と戦争になるからと言って逃げていた人たちが、戦争が終わって秩序が回復したので戻ってくるわけです。
もしも、阿鼻叫喚の大虐殺が起きていたとしたら、そんなところに誰も戻ってこないでしょう。
この大虐殺が今では30〜40万人という話になっていて、どんどん死者の数が増えているという事ですが、これを喧伝したのが、アグネス・スメドレーです。
日本にとって許せない謀略活動しており、戦後に生まれた我々の世代、次の子供の世代までも、こういった日本人としての誇りを打ち砕くような洗脳教育をするきっかけを作った人でもあるのです。
丸谷元人<ルネサンス編集部>メルマガ より