日本とアヘン
日本へは制限付きでアヘン(阿片)が持ち込まれていたことが記されている。
◆日英修好通商条約
◆日米修好通商条約
大東亜戦争時、主な戦費はアヘンで賄われていました。
アヘンを精製できるケシの栽培は日本でもされていて、大阪・奈良・和歌山・硫黄島で食料よりも優先して作られていました。
もちろん満州国でも栽培されていて、敗戦を知った日本軍はバスに大量のアヘンを載せて日本へ持ち込みGHQと裏取引。
巣鴨プリズンでA級戦犯7名が処刑された翌日に、その他のA級戦犯が釈放された理由はここにあります。
その後、彼らは政界などで活躍。
岸信介は、その例。
戦中・戦後、国民が飢えで苦しんでいる最中、上記の様に裏取引によって釈放されたのでした。
このことは岸信介の部下であった古海忠之が晩年になって『忘れ得ぬ満州国』を出版、そこに詳細が記されています
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占領暗躍史 〜明かされた日本のタブー〜 第3巻「アヘン埋蔵金伝説」(西鋭夫)より
その一部がYouTubeで解説されています。
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満州国253回「古海忠之」著書「忘れ得ぬ満州国」公刊した。