反日でないと「怒られる」三重の子供たち
皇學館大学松浦光修教授のブログより
教育関係法規の改正と三重の教育
(『神政連三重』第二十二号
平成二十一年六月三十日 )
反日でないと「怒られる」三重の子供たち
ともあれ、こうして教育関係の「法規」が、戦後数十年の長い停滞を経て、ようやく最近になって、大きく改善されたのである。
教育正常化の運動を長くつづけてきた物の一人としては、ひとしお感慨ぶかいものがある。
しかしながら、いくら「法規」が改善されたところで、それが現場で「遵守」されなければ、何の意味もない。
じつは、すでに現行の「学習指導要領」にも、
「国を愛する心情を育てる」
「天皇についての理解と敬愛の念を深める」
「国歌『君が代』は、いずれの学年においても指導する」
「人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ」
(「小学校学習指導要領」)
などの文言が明記されている。
しかし、これらの「法規」が、しっかりと全国で守られているという形跡は、どこにもない。
それどころか、むしろ、それとは、まったく逆の教育が行われている形跡なら、全国いたるところで見受けられる。
特に三重県においては、その傾向が顕著で、「国を愛」し、天皇に「理解と敬愛の念を深める」のではなく、国を憎悪し天皇への軽視と憎悪をかきたてるような教育が、今も平然と行われている。
その証拠に国歌を歌える子供など、三重県では、ごく一部である。
昨年、三重県北部の高校を出たばかりの大学一年の女子学生が、私にこう語ってくれたことがある。
「小・中・高の授業では、いつも日本が悪者で、ほんとうに悲しかったです。ある時、私はクラスで『日本が戦争をしたのはABCD包囲網で、このままじゃ死ぬしかなくなったからではないですか?日本だけが悪人のように言われるのは、おかしいと思います』という意見を出したら、教師から本気で怒られました。
だから私は『日本が悪者』と言わないと怒られるのが学校だと、ずっと思ってきました」。
この教師は、明らかに「法規」に違反している。
それだけではない。
明らかに立場の弱い生徒の思想信条の自由」を侵している。
しかし、その教師に、自分が生徒の基本的人権を侵害している自覚は、まったくないようである。
いったい、今時なぜ、こんな教育が放置されたままなのか・・・
といえば、おそらくその原因は「政治力」にある。
三重県では、「反日・反天皇」の思想に染まった公務員の「職員団体」が、巨大な集金力と集票力をもち、議員も官僚も、またマスコミも、その巨大な力の前にひれ伏している。
しかし、そもそも公務員の政治活動・選挙活動は、法律で厳しく禁止されているのである。
とすれば、法律に違反した公務員が、法律に違反した教育をやっている、ということになる。
もしも、来る総選挙で、いまだに公務員が、そのような活動をしているという情報をえたら、私たちは、一人ひとりが勇気をもって、しかるべき機関に通報し、その人物の処分を要求しなければならない。
なぜなら、大人たちの見て見ぬふりによって犠牲になるのは、他ならぬ三重の子供たちだからである。
自国への愛と誇りをもてない・・・。
もうこれ以上、子供たちをそんな魂の犠牲者にしてはならない。