情報あれこれ

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8つのファミリー:連邦準備制度カルテル(パートI)


ローダ・ウィルソン著 2024年8月26日



ロスチャイルド家、モルガン家、ロックフェラー家などの大手銀行家一族は、世界経済の形成に大きな影響力を及ぼしてきた。

これらの一族は、連邦準備制度や大手銀行に対して大きな影響力を持ち、経済や政治の出来事に影響を与えている。また、これらの相互に結びついた一族は、さまざまな産業やプロジェクトへの資金提供にも関与しており、世界の出来事や経済に大きな影響を与えている。


2011年、ディーン・ヘンダーソンは、2005年に出版した著書『ペルシャ湾岸の巨大石油企業と銀行家たち:四騎士、八大家族、そして彼らの世界規模の情報、麻薬、テロネットワーク』の「第19章:八大家族」からの抜粋を5つのパートに分けて発表した。ヘンダーソンのウェブサイトは現在利用できない。しかし、この5つのパートは、RDF Site Summaryのウェブフィード(「RSSフィード」)で再掲載されている。


●連邦準備制度カルテル:パートI:8つのファミリー(下記)
●連邦準備制度カルテル:パートII:フリーメーソンBUSとロスチャイルド家
https://eight110.rssing.com/chan-7692235/latest-article13.php
●連邦準備制度カルテル:パートIII:円卓会議とイルミナティ
https://eight110.rssing.com/chan-7692235/latest-article14.php
●連邦準備制度カルテル:パートIV:金融寄生虫
https://eight110.rssing.com/chan-7692235/latest-article15.php
●連邦準備制度カルテル:パートV:解決策
https://eight110.rssing.com/chan-7692235/latest-article16.php




連邦準備制度カルテル:パートI:8つのファミリー
ディーン・ヘンダーソン著、2011年6月1日



(「第19章:8つのファミリー」、「ペルシャ湾岸の巨大石油企業と銀行家たち:四騎士、8つのファミリー、そして彼らのグローバルな諜報・麻薬・テロ組織」からの抜粋、全5回シリーズのパート1)


銀行界の四騎士(バンク・オブ・アメリカ、JPモルガン・チェース、シティグループ、ウェルズ・ファーゴ)は、石油業界の四騎士(エクソン・モービル、ロイヤル・ダッチ・シェル、BPアモコ、シェブロン・テキサコ)を所有しており、ドイツ銀行、BNP、バークレイズ、その他のヨーロッパの巨大金融機関と連携している。しかし、彼らの世界経済に対する独占は、油田の周辺で終わるわけではない。


SECへの企業10K提出書類によると、フォーチュン500企業のほぼすべてにおいて、銀行界の四騎士が上位10位以内の株主となっている。 


では、これらの金融センターの銀行の株主は誰なのか?


この情報は、より厳重に守られている。米国の銀行持株会社上位25社の株式所有状況について、銀行規制当局に問い合わせたところ、その情報は「国家の安全」を理由に拒否される前に、情報公開法の対象となった。これは皮肉なことである。なぜなら、これらの銀行の株主の多くはヨーロッパ在住だからだ。


これらの銀行持株会社を所有するグローバル寡頭制の富の重要な保管場所のひとつが、1853年に設立され、現在はバンク・オブ・アメリカが所有する米国トラスト・コーポレーションである。最近の米国トラストの取締役および名誉理事はウォルター・ロスチャイルド氏である。その他の取締役には、JPモルガン・チェースのダニエル・デイヴィソン氏、エクソン・モービルのリチャード・タッカー氏、シティグループのダニエル・ロバーツ氏、そしてモルガン・スタンレーのマーシャル・シュワルツ氏などがいる。


サウジアラビア王家とつながりのある石油業界の内部関係者であるJ.W.マカリスターは著書『死神』の中で、サウジアラビアの銀行家から得た情報として、ニューヨーク連邦準備銀行(連邦準備制度の中で最も権力を持つ)の80%の所有権がわずか8つの家族によって握られており、そのうち4つの家族は米国在住であると述べている。 彼らはニューヨークのゴールドマン・サックス、ロックフェラー、リーマン、クーン・ローブ、パリのロスチャイルド、ロンドンのロスチャイルド、ハンブルクのウォーバーグ、パリのラザード、ローマのイスラエル・モーゼス・シーフスである。


公認会計士のトーマス・D・シャウフ氏は、マカリスター氏の主張を裏付け、10行が12の連邦準備銀行の支店すべてを支配していると付け加えた。 彼は、ロンドンのN.M.ロスチャイルド、ベルリンのロスチャイルド銀行、ハンブルクのウォーバーグ銀行、アムステルダムのウォーバーグ銀行、ニューヨークのリーマン・ブラザーズ、パリのラザード・ブラザーズ、ニューヨークのクーン・ローブ銀行、イタリアのイスラエル・モーゼス・シーフ銀行、ニューヨークのゴールドマン・サックス、ニューヨークのJPモルガン・チェース銀行を挙げている。 また、シャウフ氏は、連邦準備銀行の株式の大半を所有する個人として、ウィリアム・ロックフェラー、ポール・ウォーバーグ、ジェイコブ・シフ、ジェームズ・スティルマンを挙げている。 シュルツ家はクーン・ローブの内部関係者である。スティルマン家は、20世紀初頭にロックフェラー一族と結婚したシティグループの内部関係者である。


ユースタス・マリンズは著書『連邦準備制度の秘密』で、同様の結論に達している。この本では、連邦準備制度とその加盟銀行と、ロスチャイルド家、ウォーバーグ家、ロックフェラー家などの一族を結びつける図表が示されている。


これらの銀行家一族が世界経済に対して及ぼしている支配力は、過大評価しすぎるということは決してない。そして、それは意図的に秘密のベールに包まれている。彼らの企業メディア部門は、この私的中央銀行カルテルを暴く情報を「陰謀論」としてすぐに否定する。しかし、事実は残る。



モルガン家


連邦準備銀行は1913年に誕生したが、これは米国の銀行家一族であるJ・ピアポント・モルガンが死去し、ロックフェラー財団が設立されたのと同じ年である。モルガン家はウォール街とブロードストリートの角から米国の金融界を支配し、ジョージ・ピーボディが1838年にロンドンで設立して以来、事実上の米国中央銀行として機能していた。


ピーボディはロスチャイルド家のビジネスパートナーであった。1952年、連邦準備制度の研究者ユースタス・マリンズは、モルガン家はロスチャイルド家のエージェントに過ぎないという仮説を提示した。マリンズは「ロスチャイルド家は、米国ではJ.P.モルガン・アンド・カンパニーという建前を装い、匿名で活動することを好んだ」と書いている。


著述家のガブリエル・コルコは、「1895年から1896年にかけて、モルガンがヨーロッパで米国債を販売した活動は、ロスチャイルド家との同盟関係に基づいたものだった」と述べている。


モルガンの金融帝国は、急速に世界中にその触手を伸ばしていった。モルガン・グレンフェルはロンドンで活動し、モルガン・エ・シーはパリを支配した。ロスチャイルド家のランバートはフィラデルフィアでドレクセル・アンド・カンパニーを設立した。


モルガン家はアスター家、デュポン家、グッゲンハイム家、ヴァンダービルト家、ロックフェラー家を顧客とし、AT&T、ゼネラルモーターズ、ゼネラルエレクトリック、デュポンの設立に資金を提供した。ロンドンを拠点とするロスチャイルド家やベアリング銀行と同様に、モルガン家は多くの国の権力構造の一部となった。


1890年までに、モルガン家はエジプト中央銀行への融資、ロシアの鉄道への資金提供、ブラジル地方自治体の債券発行、アルゼンチンの公共事業への資金提供を行っていた。1893年の不況はモルガンの権力をさらに強固なものにした。この年、モルガンは銀行パニックから米国政府を救うため、ロスチャイルドの金塊6200万ドル相当を政府準備高として支えるシンジケートを結成した。


モルガンは、議決権信託を通じて西部への鉄道建設に資金を提供し、その運営を管理することで、米国の西部開拓の推進力となった。1879年、コーネリアス・ヴァンダービルトがモルガンの資金で設立したニューヨーク・セントラル鉄道は、ジョン・D・ロックフェラーが設立した当時まだ成長過程にあったスタンダード・オイルに優先的な輸送料金を提供し、ロックフェラーとモルガンの関係を強固なものにした。


モルガン家は今やロスチャイルド家とロックフェラー家の支配下にあった。ニューヨークヘラルド紙の見出しには「鉄道王たちが巨大なトラストを結成」と書かれていた。かつて「競争は罪である」と発言したJ. ピアポント・モルガンは、今では「考えてみたまえ。セントルイス以西のすべての鉄道交通が、わずか30人ほどの男たちに支配されているのだ」と嬉々として語った。


モルガンとエドワード・ハリマンの銀行家クーン・ローブは鉄道を独占し、銀行王一族のリーマン、ゴールドマン・サックス、ラザードはロックフェラー家とともに米国の産業基盤を支配した。 


1903年、8家族によってバンカーズ・トラストが設立された。バンカーズ・トラストのベンジャミン・ストロングはニューヨーク連邦準備銀行の初代総裁となった。 1913年の連邦準備制度の創設により、8家族の権力は米国政府の軍事力および外交力と融合した。海外での貸付金が未払いとなった場合、寡頭制者たちは米海兵隊を派遣して借金を回収することが可能となった。モルガン、チェース、シティバンクは国際的な貸付シンジケートを結成した。


モルガン家は英国のウィンザー家やイタリアのサヴォイア家と親密な関係にあった。クーン・ローブ、ウォーバーグ、レーマン、ラザード、イスラエル・モーゼス・シーフス、ゴールドマン・サックスもヨーロッパの王族と緊密な関係にあった。1895年にはモルガンは米国の金流入と流出を支配していた。 アメリカにおける最初の合併の波はまだ初期の段階にあり、銀行家たちによって推進されていた。1897年には69件の企業合併が行われ、1899年には1200件に達した。1904年、ムーディーズ・インベスターズ・サービスの創設者であるジョン・ムーディは、ロックフェラーとモルガンの利益を別個のものとして語ることは不可能であると述べた。


企業結合に対する一般市民の不信感は広がった。多くの人々は、彼らをヨーロッパの旧財閥のために働く裏切り者であると考えていた。ロックフェラーのスタンダード・オイル、アンドリュー・カーネギーのUSスチール、エドワード・ハリマンの鉄道は、いずれもヨーロッパのロスチャイルド家と緊密に連携していたクーン・ローブの銀行家ジェイコブ・シフから資金援助を受けていた。


複数の西部諸州では、銀行家を禁止した。人民主義者の説教師ウィリアム・ジェニングス・ブライアンは、1896年から1908年にかけて3度、民主党の大統領候補となった。 反帝国主義キャンペーンの中心テーマは、アメリカが「英国資本による金融的隷属」の罠に陥っているというものだった。1908年にはウィリアム・タフトがブライアンを破ったが、その頃にはタフトの前任者であり師でもあったテディ・ルーズベルトが、広がりつつあった民衆運動の熱狂に押される形で、シャーマン反トラスト法を制定していた。その後、彼はスタンダード・オイル・トラストを追及した。


1912年には、ウォール街の権力集中を問題とするプジョー公聴会が開かれた。同じ年、エドワード・ハリマン夫人はニューヨークのギャランティ・トラスト銀行の株式の大半をJPモルガンに売却し、モルガン・ギャランティ・トラストが誕生した。ルイス・ブランダイス判事はウッドロウ・ウィルソン大統領に取締役会の相互兼任の廃止を呼びかけるよう説得した。1914年には、クレイトン反トラスト法が可決された。


J. ピアポントの息子であり後継者であるジャック・モルガンはこれを受けて、モルガンの顧客であるレミントン社とウィンチェスター社に武器生産の増産を呼びかけた。彼は、米国は第一次世界大戦に参加する必要があると主張した。 カーネギー財団やその他の寡頭制の隠れ蓑にそそのかされたウィルソン大統領はこれに応じて、チャールズ・タンシルが『アメリカ、戦争へ』で述べているように、「武力衝突が起こる前から、フランスのロスチャイルド・ブラザーズ社はニューヨークのモルガン・カンパニーに1億ドルの融資を提案する電報を打った。そのかなりの部分は、フランスが米国製品を購入する際に支払う資金として米国に残されることになっていた」


モルガン家は、米国の戦争努力の半分を資金援助する一方で、GE、デュポン、USスチール、ケネコット、ASARCOなどの請負業者を仲介することで手数料を得ていた。それらの企業はすべてモルガンの顧客であった。モルガンは、南アフリカにおけるボーア戦争や普仏戦争でも資金援助を行っていた。1919年のパリ講和会議はモルガンが議長を務め、ドイツと連合国の双方の復興努力を主導した。


1930年代、1929年の大恐慌でゴールドマン・サックス、リーマン・バンク、その他の金融機関が利益を得た後、アメリカでポピュリズムが再び台頭した。下院銀行委員会の委員長を務めたルイス・マクファデン(民主党、ニューヨーク州選出)は、大恐慌について「それは決して偶然の出来事ではない。 それは周到に仕組まれた出来事だった。 国際銀行家たちは、アメリカ国民を絶望的な状況に追い込み、自分たちが国民の支配者となることを狙っていたのだ」と述べた。


ジェラルド・ニー上院議員(民主党、ノースダコタ州選出)は1936年に軍需品の調査を主導した。ニーは、モルガン家が融資を守り、活況を呈する軍需産業を生み出すために米国を第一次世界大戦に突入させた、と結論付けた。その後ニーは、「次の戦争」と題する文書を作成し、皮肉を込めて「民主主義の古い女神の策略」に言及し、それによって日本が第二次世界大戦に米国を引きずり込むために利用される可能性があると指摘した。


1937年、ハロルド・アイケス内務長官は「アメリカの60のファミリー」の影響力について警告を発した。後に、歴史家のフェルディナンド・ランドバーグがまったく同じタイトルの本を著した。最高裁判事のウィリアム・O・ダグラスは「モルガン家の影響力は…今日の産業と金融において最も有害なものである」と非難した。


ジャック・モルガンは、米国を第二次世界大戦へと追い込むことでこれに応えた。モルガンは、17世紀の幕府から企業が誕生して以来、三菱と三井をそれぞれ所有してきた、日本でもっとも裕福な一族である岩崎家と丹家と緊密な関係にあった。日本が満州を侵略し、南京で中国人の農民を虐殺した際、モルガンは事件を軽視した。 モルガンはイタリアのファシスト党のベニート・ムッソリーニとも親密な関係にあり、第二次世界大戦中にはドイツのナチス党のハルマー・シャハト博士がモルガン銀行の連絡係を務めていた。 戦後、モルガン銀行の代表者はスイスのバーゼルにある国際決済銀行(BIS)でシャハト博士と会談した。 



ロックフェラー家が所有する


BISは世界で最も権力を持つ銀行であり、西側諸国および発展途上国のほぼすべての民間中央銀行を支配する「エイト・ファミリー」のための世界中央銀行である。BISの初代総裁はロックフェラーの銀行家ゲーツ・マクガラであり、チェース・マンハッタンおよび連邦準備制度の役人であった。マクガラは元CIA長官リチャード・ヘルムズの祖父である。 ロックフェラー家は、モルガン家と同様に、ロンドンと緊密な関係を持っていた。デイヴィッド・アイクは著書『マトリックスの子供たち』の中で、ロックフェラー家とモルガン家はヨーロッパのロスチャイルド家の「手先」に過ぎなかったと書いている。


BISは、連邦準備制度、イングランド銀行、イタリア銀行、カナダ銀行、スイス国立銀行、オランダ銀行、ドイツ連邦銀行、フランス銀行によって所有されている。


歴史家のキャロル・クイグリーは、大作『悲劇と希望』の中で、BISは「各国の政治システムと世界経済全体を支配できる民間による世界金融統制システムを創設する」という計画の一部であったと記している。「世界の中央銀行が秘密協定によって協調して行動することで、封建的な方法で管理される」という計画である。


米国政府はBISに対して歴史的に不信感を抱いており、1944年の第二次世界大戦後のブレトン・ウッズ会議では、BISの廃止を働きかけたが成功しなかった。代わりに、ブレトン・ウッズ協定によってIMFと世界銀行が設立され、エイト・ファミリーズの権力はさらに強まった。米国連邦準備制度がBISの株式を取得したのは、1994年9月になってからである。


BISは、少なくとも世界の80の中央銀行、IMF、その他の多国間機関の通貨準備の少なくとも10%を保有している。また、国際協定の金融代理人として、世界経済に関する情報を収集し、世界的な金融崩壊を防ぐための最後の貸し手としての役割も果たしている。


BISは独占資本主義的ファシズムの政策を推進している。1990年代には、ハンガリーの経済を確実に民営化するために、ハンガリーにつなぎ融資を行った。また、ウォーバーグ家のJ.ヘンリー・シュローダーとアムステルダムのメンデルスゾーン銀行が主導する「エイト・ファミリーズ」がアドルフ・ヒトラーに資金提供を行うための仲介役も務めた。多くの研究者は、BISが世界的な麻薬マネーの洗浄の中心であると主張している。


BISがスイスに本部を置いているのは偶然ではない。スイスは世界中の貴族の富を隠す場所として好まれており、イタリアのフリーメイソン・アルピナロッジのP-2本部やナチス・インターナショナルの本部もある。8ファミリーが支配するその他の機関には、世界経済フォーラム、国際通貨会議、世界貿易機関などがある。


ブレトン・ウッズ体制は8ファミリーにとって好都合であった。IMFと世界銀行は「新世界秩序」の中心であった。 1944年には、モルガン・スタンレーとファースト・ボストンによって世界銀行の最初の債券が発行された。フランスのラザール家は、モルガン家の利益にますます関わるようになった。ラザール・フレールはフランス最大の投資銀行であり、ラザール家とデイヴィッド・ウェイル家が所有している。ミシェル・ダヴィヴが代表を務めるジェノヴァの旧家系の銀行である。シティグループの最近の会長兼CEOはサンフォード・ウェイルであった。


1968年、モルガン・ギャランティはユーロダラー証券の決済システムであるブリュッセルを拠点とするユーロクリアを立ち上げた。これは、そのような自動化された取り組みとしては初めての試みであった。ユーロクリアは「野獣」と呼ばれるようになった。ブリュッセルは、新欧州中央銀行およびNATOの本部となっている。 1973年、モルガン社の幹部はバミューダで秘密裏に会合を開き、グラス・スティーガル法が廃止される20年前に、かつてのモルガン商会を違法に復活させた。モルガン家とロックフェラー家はメリルリンチに資金援助を行い、同社を米国投資銀行のビッグ5に押し上げた。現在、メリルリンチはバンク・オブ・アメリカの一部である。


ジョン・D・ロックフェラーは石油で得た富で、1920年代までに複数の大手銀行や企業を吸収合併したエクイタブル・トラストを買収した。世界大恐慌はロックフェラーの権力を強化するのに役立った。彼のチェース銀行はクーン・ローブのマンハッタン銀行と合併してチェース・マンハッタン銀行となり、長年の家族関係を強固なものにした。クーン・ローブ家はロスチャイルド家とともに、ロックフェラーが油田王となるための探求に資金を提供していた。 ジョン・D・ロックフェラーが米国石油産業の独占化に乗り出すために必要な資金を提供したのは、クリーブランド・ナショナル・シティ銀行であった。同銀行は、ロックフェラーがスタンダード・オイル・オブ・オハイオとして初めて法人化された1870年代、米国に存在した3つのロスチャイルド所有銀行の1つとして、議会公聴会で特定された。


ロックフェラー・スタンダード・オイルのパートナーの一人、エドワード・ハークネスは、一族がケミカル・バンクを支配するようになった。もう一人はジェームズ・スティルマンで、一族はマニュファクチャラーズ・ハノーバー・トラストを支配していた。両行はJPモルガン・チェースの傘下で合併した。スティルマンの娘2人は、ウィリアム・ロックフェラーの息子2人と結婚した。この2つの一族はシティグループの大部分も支配している。


保険業界では、ロックフェラー家はメトロポリタン生命、エクイタブル生命、プルデンシャル生命、ニューヨーク生命を支配している。ロックフェラー系の銀行は、米国の大手商業銀行50行の総資産の25%、大手保険会社50社の総資産の30%を支配している。保険会社(米国初の保険会社はフリーメイソンがウッドマン・オブ・アメリカを通じて設立した)は、バミューダの麻薬マネーの資金洗浄において重要な役割を果たしている。


ロックフェラー家の支配下にある企業には、エクソンモービル、シェブロン・テキサコ、BPアモコ、マラソン・オイル、フリーポート・マクモラン、クエーカー・オーツ、ASARCO、ユナイテッド、デルタ、ノースウェスト、ITT、インターナショナル・ハーベスター、ゼロックス、ボーイング、ウェスチングハウス、ヒューレット・パッカード、ハネウェル、インターナショナル・ペーパー、ファイザー、モトローラ、モンサント、ユニオン・カーバイド、ゼネラル・フーズなどがある。


ロックフェラー財団は、フォード財団およびカーネギー財団の両者と緊密な財政的つながりがある。ロックフェラー一族の慈善事業には、ロックフェラー・ブラザーズ・ファンド、ロックフェラー医学研究所、一般教育委員会、ロックフェラー大学、シカゴ大学などがある。シカゴ大学からは、ミルトン・フリードマンをはじめとする国際資本の擁護者として極右の経済学者が次々と輩出されている。


一族は、毎年クリスマスツリーが点灯される30ロックフェラー・プラザとロックフェラー・センターを所有している。 デビッド・ロックフェラーは、ワールドトレードセンターの建設に尽力した。ロックフェラー家の主な住居は、ニューヨーク州北部にある巨大な複合施設「ポカンティコ・ヒルズ」である。また、マンハッタンの5番街に32部屋ある2階建ての建物、ワシントンD.C.の邸宅、ベネズエラのモンテ・サクロ・ランチ、エクアドルのコーヒー農園、ブラジルの複数の農場、メイン州シールハーバーの土地、カリブ海、ハワイ、プエルトリコのリゾートも所有している。


ダレス家とロックフェラー家は従兄弟同士である。アレン・ダレスはCIAを創設し、ナチスを支援し、ウォレン委員会の委員としてケネディ暗殺事件を隠蔽し、イスラム同胞団と取引してマインドコントロールされた暗殺者を生み出した。


ジョン・フォスター・ダレスは、1929年の株式市場の暴落以前に、インチキなゴールドマン・サックス信託を統括し、兄がイランとグアテマラの政府を転覆させるのを手助けした。 2人とも、スカル・アンド・ボーンズ、外交問題評議会(CFR)の内部者であり、33度メイソンであった。 


イタリアのベラージオにある一族の所有地で、人口減少を目的とする「ローマクラブ」の結成に尽力した。ポカンティコ・ヒルズの所有地では「三極委員会」が結成された。一族は、ヒトラーを生み出した優生学運動、ヒトクローニング、そして米国の科学界における現在のDNA偏重主義の主要な資金提供者である。


ジョン・ロックフェラー・ジュニアは、死去するまで人口審議会の会長を務めていた。 彼の息子は、ウェストバージニア州選出の上院議員である。ウィンスロップ・ロックフェラーの弟は、2006年に死去するまでアーカンソー州の副知事を務め、同州で最も影響力を持っていた。 1975年10月、プレイボーイ誌とのインタビューで、ニューヨーク州知事でもあったネルソン・ロックフェラー副大統領は、次のように一族の支配的な世界観を明確に述べた。「私は、経済、社会、政治、軍事、世界全体の計画を立てることに強く賛成している」。


しかし、ロックフェラー家の兄弟の中で、世界規模での一族のファシスト的計画を先導してきたのは、三極委員会(TC)の創設者であり、元チェース・マンハッタン銀行会長のデイビッドである。 彼はイランのシャー、南アフリカのアパルトヘイト体制、チリのピノチェト軍事政権を擁護した。 紛争で生計を立てる者たちにとって、CFR、TC、そして(ベトナム戦争中には)アジアにおける効果的かつ永続的な平和のための委員会への最大の資金提供者であった。


ニクソン大統領は彼に財務長官就任を打診したが、チェース銀行のトップのほうがはるかに大きな影響力を行使できることを知っていたロックフェラーは、その職を辞した。作家ゲイリー・アレンは著書『ロックフェラー・ファイル』の中で、1973年に「デビッド・ロックフェラーは、ロシアと赤中国の支配者を含む27人の国家元首と会談した」と記している。


1975年のオーストラリアのゴフ・ウィットラム首相に対するヌーガン・ハンド銀行/CIAのクーデターの後、英国王室から後継者に指名されたマルコム・フレーザーは米国に急行し、そこでデビッド・ロックフェラーと協議した後、ジェラルド・フォード大統領と面会した。