魏志倭人伝の矛盾した記述
歴史の授業で最初期に学び、国民のほとんどが知っているであろう歴史書『魏志倭人伝』
しかしそんな『魏志倭人伝』を読み解くととても信じられない記述がありました。
それが、この箇所です。
この文章の中で注目すべきは、赤線の部分なのですが、簡単にまとめると、「238年、日本の女王が中国の魏に仕えたいと遣いを送った」ということです。
なぜこの文章があり得ないのか?
一つずつ解説していきましょう。
<『魏志倭人伝』とは?>
まず、『魏志倭人伝』という歴史書は、実は歴史書『三国志』の一部に過ぎません。
『三国志』は陳寿という人物に編纂された歴史書で、中国で3世紀頃に編纂されました。
そして『魏志倭人伝』はその中の『東夷伝』にある約2,000文字のことを指します。
400字詰めの原稿用紙にするとなんとたった5ページの本です。
中国のたった5ページの書物を、日本は教科書にそのまま採用しているのです。
次に、編纂をした陳寿という人物についてもお話しましょう。
<陳寿とは?>
陳寿という人物は、233年に生まれ、官僚として勤めた人物です。
宮殿の図書係のような職業につき、後に執筆の上手さから歴史家として名誉を得ました。
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ここまでで不可解な点、あなたは気がつきましたか?
先ほどの記述、『魏志倭人伝』の記述「238年、日本の女王が中国の魏に仕えたいと遣いを送った」
これが正しいとすると当時の陳寿はまだ5歳。
年齢的に、彼は日本に行ったことなどあるはずがないのです。
陳寿は記述の正確さから中国の歴史家の中では比較的信用できると言われているのですが、、、
行ったことのない場所を噂を元に書いているのであれば、彼が信頼できる人物かどうかは関係ないですよね、、、
これは明らかに、『魏志倭人伝』を疑うにたる根拠のはずです。
ですが『魏志倭人伝』は、今でも教科書に採用されています。
いったいそれはなぜなのでしょうか?
これは、偶然か必然か...
p.s.
日本の教科書には戦前まで、卑弥呼は登場しませんでした。
ですが、敗戦してまもなく、教科書に卑弥呼の記述が描かれ始めました。
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