3万人の中国人を救った日本軍
あなたはご存じでしょうか?
『南京大虐殺』があったとされる当時、南京市民から、日本軍に「感謝状」が贈られていたことを…
一体どういうことでしょうか?
それは、1937年12月のこと…
南京には宝塔橋街(ほうとうきょうがい)という街があり、約3万の人々が住んでいました。
そこに、街の調査を任せられた、日本軍がやってきたのです。
この街には軍需倉庫があり、兵器、食糧、服など消耗品が保管されていましたが、治安は乱れ、とても危険な状態でした。
なぜなら、日本軍に負けた中国の兵士たちが怒りや欲求不満のはけ口として、住民から略奪をしたり、建物に放火をするなど暴徒となっていたからです。
市民は不安におびえて暮らしていました。
そこで、この地区の整備確保にあたることを自ら願い出た、ある日本軍人がいました。
その男の名前は、『土井申二』中佐。
土井中佐はまず、街と街をつなぐ、宝塔橋(ほうとうきょう)の改修を行いました。
次に、あるだけの食糧や衣類を市民に供給して、民心の安定をはかり、そして街の名前も『平和街』に改め、暴れまわる中国兵から市民をまもったのです。
それにより街は、みるみる復興していきました。
そして、1938年1月2日、平和街にあった現地の慈善団体の代表が、土井中佐率いる日本軍へ「感謝状」を贈ったのです。
(↓実際の感謝状)
(出典:https://abe-sin.com/dokusyo/nannkinn-soukatu.html)
「感謝状」には、橋の修繕、食糧の供給などに対する感謝の思いが書かれていました。
この日、 市民たちは家に日の丸を掲げて、全員で爆竹を鳴らし、日本軍への感謝を表したと伝えられています。
このように『大虐殺』があったとされる当時、日本軍は南京市民を救っていたのです。
しかし、メディアの報道では「日本は昔、悪いことをした」という声しか聞こえてきません…
もし今までのように、メディアや中国が主張する『南京大虐殺』を疑わなければ、本当のことは決して見えてきません。
NEW HISTORY(ダイレクト出版)より
